終わりなき日本の製造業神話、大手ハイテク企業は何故レタスを作りはじめたのか?


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近年、20世紀後半の4半世紀に栄華を誇った日本の製造業、とりわけ、エレクトロニクス産業の危機と衰退が頻りに叫ばれています。その背景には、同時期から先進国で進行していた知識集約型経済に日本が未だに移行できていない後進性と、2000年代以降の[p2p type=”post_tag” value=”china”]中国[/p2p]や[p2p type=”post_tag” value=”korea”]韓国[/p2p]におけるハイテク製造業の急速な台頭があります。

1970、80年代にジャパン・アズ・ナンバーワンと称賛された日本型経営は、トヨタ生産方式や京セラのアメーバ経営にみられる製造行程のスリム化と、戦後の「安かろう、悪かろう」を克服するために輸入された統計的品質管理の技法でした。そして、現代の日本企業の多くはいまだにこの近代製造業モデルの模倣を続けているのです。

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宮部治泰さんはかつて、福島県会津若松市にある富士通の工場で、コンピューターチップの生産ラインを監督していた。ところが昨年のある日、工場長から、仕事の内容が変わるので準備をしておくように言われた。

日本のエレクトロニクス業界が苦境に立たされるなか、富士通は2009年、工場に3つあったチップ生産ラインの1つを廃止した。かつてハイテク機器の頭脳を組み立てていた清潔でほこりのないクリーンルームで、宮部さんと約30人のスタッフはレタスを栽培している。

エレクトロニクスから農業に転身したのは、宮部さんと富士通だけではない。テレビやスマートフォンなどの分野で韓国や中国のライバル相手に苦戦する日本の多くの電機大手が、遊休工場を農業用に転用している。

富士通が会津若松工場産のレタスの販売を始める一方、東芝は先月、20年間使われていない東京近郊のフロッピーディスク工場で野菜の生産を始める計画を明らかにした。パナソニックは、ホウレンソウなどの野菜を育てるコンピュータープログラム制御の温室を年内に販売し始める見通しだ。シャープは昨年、ドバイの屋内施設で自社の照明と空気清浄技術を利用したイチゴ栽培の実験を始めている。

安倍政権はこの動きを奨励している。これまでの政権は採算性のない事業を支援するだけだったが、安倍晋三首相は電機業界が一転して生まれ変わることを願っている。また、日本の農業を再構築したいとも考えている。日本の農業は小さい農地で働く高齢者の家族農家に支配されており、それが食料価格の高さにつながっている。大手企業が農業に参入すれば、価格は下がるだろうと安倍氏は考えている。

最近になって、日本政府は最先端農業に関する補助金の対象を全国に拡大した。政府のまとめによると、富士通のようなハイテク手法を使った工場は過去3年間で4倍以上に増え、380カ所以上に上っているという。

富士通の工場では、従業員は実験用の白衣とマスクを身に付け、レタスが育つ清潔な環境を維持している。作物は土ではなく、水の上で育つ。水には肥料と養分が与えられている。

同社によると、このようにレタスを育てることで、カリウムの含有量を減らすことができる。これにより、カリウムを体外排出できない腎臓病の高齢者でも食べられるレタスを作れるという。

レタスは微生物のいない場所で育つ。そのため、普通のレタスよりずっと長持ちし、冷蔵すれば最大で2カ月もつ、と同社は話している。

工場の責任者、佐藤彰彦さんは「長い間新鮮な状態なので、輸出するときに競争力になる」と話した。それは、かつてトランジスタラジオの時代に磨かれたのと同じような経済モデル、つまり海外の売り上げが成長を促すモデルが今なお健在であることの表れだ。

東芝は、こうした農園事業で利益を出すためには生産規模が必要だと話す。同社は年間300万個のレタスを育てることを目指しており、2015年度までに年間売上高が3億円になると予測している。気象の変化が激しく水質が悪いために野菜の栽培が困難なアジアや中東の地域にまで、この事業を拡大する計画だ。

ハイテク農業が今後の道であることに誰もが納得しているわけではない。横浜で農業を営む加藤之弘さんは地元の市場で作った野菜を販売しているが、自身が作る野菜(一部は有機栽培)への需要は増えていると話す。

加藤さんは「品質管理は工場生産でいいものができるかもしれない」としたうえで、「栄養価は違って、(こちらのほうが)優れているのではないか」と話す。

パナソニックは、ハイテク技術と伝統的な農法の適正な組み合わせを見つけ出そうとしている。同社のスマート温室では、農業従事者が通常と同じように土壌と種子を用意する。植物が成長するなか、センサーが気温と湿度を測る。気温が高すぎるときは、同社システムが自動でカーテンを閉めて太陽光を遮り、窓を開けて風が入るようにする。気温が低いときはこの逆の操作をする。

パナソニックの従業員、谷澤孝欣さんのキャリアの転換期は3年前に訪れた。仕事はマッサージチェアの製造からホウレンソウの栽培に変わった。

うれしいことに、野菜はマッサージチェアを試す人たちほど細かくないことが分かった。谷澤さんは「マッサージチェアは難しい。ある人は気持ちいいと言ってもある人は嫌だと全然評価が違う。植物は不平不満を言わない。彼らは素直で本当にいい子」だと話した。

via ハイテク野菜生産、電機大手の参入相次ぐ – WSJ.

3ヶ月間、少数の友人と経営学や組織論における本物の巨人たちの著作を読み継いでいく読書会を続けてきました。[p2p type=”post_tag” value=”frederick-taylor”]フレデリック・テイラー[/p2p]、[p2p type=”post_tag” value=”mary-parker-follett”]メアリー・パーカー・フォレット[/p2p]、[p2p type=”post_tag” value=”chester-barnard”]チェスター・バーナード[/p2p]といったマネジメント前史の偉大な先駆者にはじまり、20世紀後半を強い危機意識とミッション感覚をもって生きた社会生態学者の[p2p type=”post_tag” value=”peter-drucker”]ピーター・ドラッカー[/p2p]や戦略経営論の創始者[p2p type=”post_tag” value=”igor-ansoff”]イゴール・アンゾフ[/p2p]、そして、1970、80年代以降の仮想化時代における現代経営学の未来をマルチに切り拓いていった[p2p type=”post_tag” value=”henry-mintzberg”]ヘンリー・ミンツバーグ[/p2p]と[p2p type=”post_tag” value=”sumantra-ghoshal”]スマントラ・ゴシャール[/p2p]、そして、競争戦略論の[p2p type=”post_tag” value=”michael-porter”]マイケル・ポーター[/p2p]、イノベーション経営論の[p2p type=”post_tag” value=”gary-hamel”]ゲイリー・ハメル[/p2p]、組織学習論の[p2p type=”post_tag” value=”gary-hamel”]ロバート・キーガン[/p2p]、長寿企業生命論の[p2p type=”post_tag” value=”arie-de-gues”]アリー・デ・グース[/p2p]などです。

経営学100年史において、1980年代には無駄の徹底排除をめざしたトヨタ生産方式がジェームズ・ウォマックとダニエル・ジョーンズによりリーン生産方式としてリメイクされ、1990年代には日本企業特有の形式化されない身体的コミュニケーションによる知識共有法をリメイクした[p2p type=”post_tag” value=”ikujiro-nonaka”]野中郁次郎[/p2p]らのナレッジマネジメントが欧米で注目を集めました。いずれの手法も、西欧近代が排除してきた身体的ないし暗黙知的な、敢えていえば原始的ないし感覚的なボトムアップ型の遣り方を従来の理知的ないし形式知的な手法と融合させたものです。同時期には、祖国[p2p type=”post_tag” value=”america”]アメリカ[/p2p]では黙殺されていた統計的品質管理法のエドワード・デミングが、日本での輝かしい実績とともにカムバックを果たしました。

デミングの存在を米国で知らしめる役目を担ったのが、1980年に放送されたドキュメンタリー「日本にできて、我々にはなぜできないのか?」です。今日の日本人が忘れている、あるいはそもそも見過ごしてきたことですが、1960年代の日本の経済成長と製造業の躍進には、地政学的な優位にくわえ、ベトナム戦争の疲弊によるアメリカの国力低下と、1969年刊行の『断絶の時代』でドラッカーが指摘した米国産業の知識経済への構造転換が、以前書いた「未来の衝撃」という心理的な問題としてあらわれたことに大きく拠っています。(「左翼と反ヘイト、「未来の衝撃」が常態となった仮想化社会の人間と全体主義」)

以下の引用はNextcom誌に掲載された論文からです。1970年代には、現在のG8が発足し、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が刊行後1ヵ月で翻訳されました。Group 0f Eightを「先進国首脳会議」と訳したことからもわかるとおり、1971年の[p2p type=”post_tag” value=”nixon-shock”]ニクソン・ショック[/p2p]を経て変動相場制に移行し、従来の輸出ベースの製造業に翳りがみえていたにも関わらず、当時のわたしたちは仮想化時代の新しい現実から眼を背けて「先進国」のアイデンティティーに酔っていたのです。

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日本のエレクトロニクス産業が変調を来している。繰り返し報道されてきたように、市場規模の大きいテレビやスマートフォン、またはDRAMと呼ばれる固体半導体素子で韓国勢の前に敗退し、軽薄短小の代表格に相当するノートブックやハードディスクでも敗色濃厚である。

エレクトロニクス産業の起源は、アメリカのトーマス・エジソンにさかのぼる。エジソンが発電機を普及させていなければ、そもそも電気・電子産業は成り立たないし、ラジオやテレビにしても、エジソンが確立した音声・映像の記録方式を前提とするからである。微弱信号の増幅技術が可能にした公共放送も、エジソンが白熱球から真空管を導入していなければ、少なくとも20世紀前半には実現していなかった公算が大きい。

エジソン以降、アメリカは家電製品の黄金時代を迎えている。厳密に言えば、電力需要が夜間の照明に集中するのを是正すべく次から次に開発された白物家電製品が最初の主役というべきであろうが、1920年頃から商用ラジオ放送が、そして1939年から商用テレビ放送がスタートを切っており、現在に続くエレクトロニクス産業の源流が20世紀の前半には生まれたことは間違いない。そしてアメリカでは、戦前はラジオ、戦後はテレビといったセット製品を大量生産するビジネスが興隆を極めることになった。その頂点に立ったのが、ラジオ・コーポレーション・アメリカ(RCA)である。こうして1920年から1960年辺りにかけて目撃された展開を、現代風にエレクトロニクス1.0と呼ぶことにしよう。この時代は、欧米勢の独壇場である。

次のエレクトロニクス2.0は、1960年から1980年辺りにかけて初めて目撃された展開に呼応する。この時期には、1955年にソニーが発売したTR-55というトランジスタラジオが世界の檜舞台に躍り出て、日本のラジオが輸出産業に育っていった。第一次石油ショック以降は日本製テレビの輸出も急増している。この時代の躍進を、日本メーカーの製造面や技術面における健闘と関連付けて理解する論調が日本では主流を成してきた。しかしながら、主戦場がシフトしたことにより相対的に付加価値の下がったエレクトロニクス1.0を、欧米が日本に明け渡した側面もあることを見落としてはならない。ここを誤解すると、無益な自信過剰を助長することになる。

この時代は、欧米にとっては主に集積回路を含む電子部品がニューフロンティアを定義した。一通りのセット製品が出揃うと、買い替え需要を巡って性能競争が始まることは目に見えており、セット製品そのものから、セットの性能を左右する部品に収益源がシフトしていく。実際にラジオ放送はAMからFMに移行し、テレビ放送も衛星中継も使うようになり、信号の高周波化を実現する電子部品の需要が顕在化した。さらに、冷戦のなかで弾道ミサイルをガイドする制御システムやレーダーへの需要も拡大しており、電子部品メーカーにとって投資機会に事欠くことはなかったはずである。この当時は、電子系の有力メーカーが欧米にひしめいており、彼らにしてみればテレビやラジオに関わっている暇はなかったに違いない。

エレクトロニクス3,0は、1980年から2000年辺りにかけて初めて姿を現した。この時期は、日本勢がコンデンサやDRAMのような汎用電子部品で大躍進を遂げている。逆にアメリカの大手エレクトロニクス企業は完全にセット製品から手を引いて、汎用電子部品も日本に譲り渡しつつ、ソフトウェアに新たな主戦場を求めていった。栄光のRCAが消えたのは、この流れのなかにおいてである。その背後にあるのは、1970年代半ばにアメリカが生み出したマイクロプロセッサーにほかならない。この新たな電子部品はソフトウェアを必要とし、そのソフトウェアが製品の性能を決定的に左右するため、新たな収益源に育っていったのである。最大収益をもたらす主戦場に経営資源をシフトさせていく点において、欧米勢の行動は見事なまでに一致している。

ここまで書くと、日本の置かれた立場が明確になるのではなかろうか。欧米勢が興味を失った戦場で躍進を遂げたまではよかったが、今や戦場を韓国・台湾、そして中国に明け渡す番が回ってきた。エレクトロニクスの世界では、バージョンアップを繰り返すにつれ、労働集約性は下がり、知識集約性が上がるので、もはや日本はエレクトロニクス1.0の世界で比較優位を持たない。それどころか、エレクトロニクス2.0の世界においてすら比較優位を失いつつある。この展開は、成功がもたらした賃金上昇の帰結である。乳歯が永久歯に生え替わるのと同じで、発展に伴う新陳代謝と受け止めないと、未来に向けた舵取りを間違えることになりかねない。

via 日本のエレクトロニクス産業に課された転身の道筋|三品和広

1990年代末以降、日本の国際競争力は低迷を続けたままの状態にあります。(参考:) その根本には、現内閣参謀参与の堺屋太一の指摘する「知価革命」の遅れ、とりわけ、ソフトウェア産業に代表される「文系知財」の遅れがあるといえますが(参考:)、興味深いことに、労働生産性の低さや(参考:)勤務時間の画一化(参考:)、エンジニアやプログラマーの過酷な管理体制など(参考:)、わたしたちに馴染みの労働問題の多くはこうした日本の知識経済に移行した風を装いながら実質的には製造業モデルを続けるという、国家国民総ぐるみの喜劇によります。

こうしてみると、冒頭引用の記事にある「ハイテク野菜」の登場も、彼らが輸出ベースの発想と品質管理の技法という半世紀前の必勝法を転用しただけで、何らのイノベーションも見受けられない退屈なものに思えます。栄養価とはことなる清潔感が新しい価値の創出と見做されるか否かは市場の文化レベルによりけりですが、しかし、自己免疫疾患に長年苦しんできたサイエンスライターが自著『寄生虫なき病』のなかで、微生物の過度な駆逐に警鐘を鳴らしていることは指摘しておいて良いでしょう。近いうちに美味しいかどうか食べてみたいと思います。

日本企業や経営論、組織論の問題とは別に、 1970年代以降の日本全体が演じている滑稽な時代錯誤の裏には、経済学者の[p2p type=”post_tag” value=”yukio-noguchi”]野口悠紀夫[/p2p]が「1940年体制」として指摘している戦後もなお生き残ったマルクス官僚による経済制度の問題と、日本の知識人たちが仮想化の時代転換を対象化してこなかった教養の問題があります。以前から書いているとおり、現在の国際情勢はポスト冷戦構造が崩壊し(「東アジア新秩序、集団的自衛権の閣議決定を強行した安倍政権の日印豪同盟構想」)、[p2p type=”post_tag” value=”internet-of-things”]IoT[/p2p]を錦の御旗にした第2次デジタル革命が社会の鼻の先にまで迫っています。(「ウェブの終焉、私的なものへと変更を迫られた巨人たちのアルゴリズム」) 時代の先端から周回遅れの位置にある日本の発想と教養を全面更新しない限り、国家以前の個人の問題として明日を生きることがむずかしい苦境に現在追いやられています。

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Chika Hitujiya

I'm Futurist, producing "Whole Earth Museum" and co-producing art project Run! Miumushi-Kun & Garapadish. This common purpose is really simple. Making you enjoy and preserving the enough requisite knowledge & things for human to survive the crisis of period.

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