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6月24日発行の日本版ニューズウィーク誌に、「右傾化とヘイト」というタイトルで情報化社会における世界的な差別の蔓延と日本の反ヘイトスピーチ運動の盛りあがりの2本の記事が特集で組まれました。主旨はいずれも明確で、反差別も含め、世界から寛容さが失われて急速に「憎悪」が伝染していること、そして、昨年の日本の反レイシズムも同様に反知性的な野蛮の熱狂でしかなかったことのふたつです。

時に、最悪の相手と闘うためには利害の一致する他の悪とも手を組む必要があります。しかし、善なるもののための戦いがその悪が悪である事実を変えることはありえません。卑劣で頑強な排外主義者にせよ、民主主義の手続きを踏まえない安倍政権にせよ、わたしたちを大きな戦いに駆りたてる暗い熱狂と扇動の正体をあきらかにし、歴史的なその意味を厳しく問い詰める必要があるでしょう。


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憎しみの炎が世界を焼き尽くそうとしている。火の手は見えない不安にあおられ、21世紀の超高速メディアに乗って拡散していく。

アメリカで差別的な活動を監視している南部貧困法律センター(SPLC)によると、米国内で活躍するヘイトグループ(差別主義団体)の数は00年の602団体に達していた。

もちろん、良識ある政治家は事態を憂慮している。ヨーロッパ全域に人権意識を根付かせたい欧州会議のビョルン・ヤーグラン事務総長は、いかにしてヘイトスピーチ(差別的表現)を規制するかが「現代における主要な課題の1つ」だと述べ、手遅れになれば破滅的な結果を招きかねない、なぜなら憎悪は「ジェノサイドの先触れ」だからと警告する。

心配なのは、人々から寛容の精神が失われてきたこと。そのせいで、すぐ肉体的な暴力に訴えたり、差別的な言葉を吐く人が増えた。日中、日韓間の反感も強まるばかりに見える。スポーツの競技団体がどんなに厳しく人種差別を禁じようと、熱くなり過ぎた観客が黒人選手にバナナを投げ付ける行為を止めることはできない。

フランスの首都パリでは、昨年1月フランソワ・オランド大統領に対する抗議デモに約20万人が集まった。同性愛の合法化などに反発するデモだったが、これにはオランド政権の内相が強い警告で応えている。いわく、「抵抗勢力が形成されつつある。これは反エリート、反国家、反税金、反議会、反マスメディア、そして反ユダヤ主義を掲げる反乱だ」

いつの世にも存在する狂信者と同じように、21世紀の扇動家たちも政治的に極端な主張を掲げ、暴力をあおり、陰謀説を流すのに忙しい。

そうした人間は、概して一匹オオカミで強迫観念に取りつかれている。11年7月にノルウェーで93人を殺害した白人至上主義者のアンネシェ・ブレイビクはネット上で公開した長文の宣言書で、イスラム教徒に支配される危険を警告し、最大の残酷さをもって立ち向かえと訴えていた。

一方、迫害される側だったマイノリティーにも過激な動きがみられる。3月、ファイヤーフォックスを開発した米文字らのブレンダン・アイクCEOがカリフォルニア州の同性婚を認める動きに反対するキャンペーンに資金提供したことが発覚。同性愛グループの執拗な攻撃を受けて就任からわずか10ヵ月で辞任に追い込まれた。

著名なコラムニストでゲイの活動家でもあるアンドルー・サリバンの言葉を借りると、ゲイたちも「愚かな不寛容」の罪を犯したことになる。

おぞましさの点では、黒人を迫害した白人秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)のヘイトスピーチも現在のジハード(聖戦)戦士のウェブサイトも大した違いはない。違うのは憎悪が拡散するスピードだ。

「自分と意見を同じくする情報源しか信用しない人が増えている」と言うのは、イギリスのシンクタンク、欧州改革センターのイアン・ボンド。「アメリカでもFOXニュースや右翼的なラジオのトーク番組しか聴かない人たちは、オバマはケニア人で共産主義者で、イスラム教徒だと信じている 」

おまけにインターネットがある。昔は悪意を広めるのに印刷者かラジオを必要としたが、今はノートパソコンかスマートフォンがあればいい。ネット上にあふれる無数の情報から適当なものを選び出し、そこへ自分の妄想を書き込んでアップロードするのは簡単だ。ツイッターやSNSで、世界に簡単にメッセージを送り出せる。

「今のヘイトスピーチは軽々と国境を越える」と言うのは、リムリック大学(アイルランド)のジェニファー・シュウェップだ。「もはや複写とか出版とかの必要はない。あっという間にすべてがリツイートされる」

via 世界で増殖する差別と憎悪|日本版ニューズウィーク

ヨーロッパ各地で極右や排外主義がちからを持ちはじめていることは以前から何度も書いてきています。(「社会的知性の繊弱化、過激な新世代ネオナチの台頭に盛りあがる極右スウェーデン人党」) もちろんそれは、彼らのような攻撃的な強い姿勢だけでなく、根本的にはひきこもりや自殺、無気力といったネガティヴなかたちでもあらわれており(「情報化時代の4つの負の自画像、日本のひきこもり問題と韓国の醜悪なマスメディア」)、ロシアやトルコの強烈な独裁化といった国家レベルの問題でも実際に起こってきています。(「YouTubeとFacebookの利用禁止をもくろむエルドアン首相は世界の例外か?」) 2007年の世界金融危機であかるみに晒された米国金融業界の異常でかつ単純な強欲さにも同様の問題が秘められています。(「環境順応型知性、周囲からの「期待」に圧し潰れる韓国の自殺者たち」)

1970年、未来学者のアルヴィン・トフラーとハイジ・トフラーのふたりが『未来の衝撃』を刊行しました。この本は、カルチャー・ショックをもじった著者らの造語を冠したタイトルからもわかるとおり、当時既にはじまりつつあった仮想化社会の到来を背景に、短期間の急激な環境変化を被り続ける人間がどのような状態に陥るかを主題にした世界的ベストセラーです。もちろん、近代社会からの構造の変化が問題なのではなく、科学技術の「加速度的推進力」により、物事が使い捨てのプラスチックのように「一時性」という独特な時間感覚で消えること、すなわち、1960年代末以降のあたらしい時代下における人間の避けがたい継続的な影響としてこの「未来の衝撃」は問題提起されました。

トフラー夫妻によれば、不断の過剰刺激の謂いである「未来の衝撃」の心理的影響はもっとも酷い場合には、無気力、無感覚、無関心への陥りとなり、そのあいだでは、不確実性の高い現実のなかでなんとか確実だとおもえる考えを必死に固守する殻に籠った態度になります。具体的には、好ましくない事実や新情報を徹底して締めだす「否定主義」、じぶんの得意ではない全般的なことがらにはいっさいの心を閉ざす「専門主義」、現在では不適切なものになっているはずの過去の慣習を頑に固守する退歩的な「復古主義」、そして、世の怒濤の変化を説明するたったひとつの方程式にすがりつく「超単純主義」の4つです。いずれの類型も、過負荷の情報に対する処理の反応型であることが重要です。

先日、哲学研究者の内田樹さんが「Back to Edo era!!」とTwitterで叫んだことが話題を呼びましたが(参考:)、トフラー夫妻のこの4類型と全般的な無感覚への傾斜の指摘は今日でも驚くほどに有効です。実際、米国の有名なデータアナリストのネイト・シルバーもまた、『未来の衝撃』をひきながら、ビッグデータ時代の分析や予測の質は情報の量がふえるほどにかえって悪くなるのではないかという懸念を自著で示しています。差別の問題でいえば、反ユダヤにせよ、反米にせよ、反日、反韓、反中、反イスラム、反同性愛、反排外主義にせよ、結局のところは「超単純主義者」らによるじぶんの方程式への闘争であり、それゆえ、往々にしてこれらは同じ穴の狢たちの交換可能な闘争相手になっています。


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在日韓国・朝鮮人が肩を寄せ合ってクラス日本各地のコリアンタウン。そこで白昼堂々、「朝鮮人を日本海にたたき込め」と叫んで練り歩く日本の排外主義団体「在特会(在日特権を許さない市民の会)」のデモとヘイトスピーチ(差別的表現)が社会問題になって久しい。

日本人はあからさまな差別を傍観しているわけではない。その代表が、差別的な言動を糾弾する「反ヘイト」活動だ。差別は悪だから反差別は善。差別を糾弾する活動や団体は無条件に正義の姿を帯びるはず——だが、活動の現場を見れば単純な善悪二元論は揺らぎだす。

コリアンタウンでヘイトスピーチを連呼してきた在特会のデモが様変わりしたのは、昨年初めだった。在特会のデモや集会をつぶすために結成された「レイシストをしばき隊」などの反ヘイト団体が現れ。昨年3月末には在特会デモ参加者の倍以上となる500人を動員。6月末には2000人以上を集め東京都新宿区のコリアンタウン・新大久保に在特会デモが侵入するのを阻止した。

今やデモ現場の「主役」は在特会ではない。中指を突き立て、拡声器で歩道から「死ね」と聞くに耐えない罵声を浴びせる「しばき隊」や「男組」といった反ヘイト団体だ。

先月末、埼玉県川口市の駅前で在特会のデモに参加しようとした42歳の男性が、反ヘイト活動家の38歳の男性に顔を殴られ、右目周辺の骨を折る事件があった(双方が暴行容疑で逮捕)。今月初めには、在特会メンバーを「この世におれんようになるぞ」と脅した反ヘイト団体の元代表が大阪府警に逮捕された。

反ヘイト団体は「反差別」という絶対的な大義を盾に、相手の言動に少しでも差別的な響きがあれば容赦なく身元や過去を暴き、徹底的な批判を加え、社会的生命を抹殺しようとする。時に暴力もいとわない。寛容さや理性を「日和見」と嘲り、あえて憎悪の連鎖を引き起こす。「これが果たして善であり、正義だろうか」。黒人奴隷という負の歴史ゆえ、差別に敏感だったアメリカでは既にこうした問い掛けがなされている。差別する個と差別される個が逆転したような反差別の暴走は、「愚かな不寛容」とも批判される。

日本もかつてのアメリカと同じ道を歩み始めている、いや、むしろ日本の方が深刻かもしれない。

「しばき隊」を率いるのは、フリー編集者の野間易通だ。イラク戦争の際の反戦デモ、北京五輪のときのチベット人解放運動、福島原発事故後は反原発……と、この10年余りの間に次々と政治運動に参加。12年に首相官邸を20万人で包囲し、反原発運動家らと野田佳彦(当時)首相との面会を実現させた官邸前デモで、運動家としての頭角を現した。

ただ実際に野田との面会が実現すると、反原発運動はピークを過ぎたかのようにしぼんでいった。ちょうどその頃火が付いたのが、韓国の李明博大統領による竹島(韓国名・独島)上陸をきっかけにした在特会のヘイトスピーチだ。

12年末には、日本の政権が民主党から原発再稼働に意欲を見せる自民党の安倍晋三に代わった。「反原発運動もリセットしなければ」という焦燥感。さらに「ファシズム政権に対抗する街頭闘争が需要だ」という使命感に燃え、野間は反原発運動の仲間を中心に、組織を「しばき隊」に衣替えした。「反原発運動の基盤が反ヘイト活動に転用された」(在特会を研究する徳島大学の樋口直人准教授)のだ。

しかし、野間たちに唐突な方向転換を悪びれる風はない。それどころか、野間は反原発運動を通じて確立した「怒りのマーケティング」の手法を反ヘイト活動に活用していることを半ば得意げに語る。「『私たちは決して許しません』と呼びかけるのではなく、『ふざけるな、ボケ』と叫んだほうがひとは集まる」

参加者同士が「頑張ろう」と呼び掛け合う生半可なスタイルではなく、ただひたすら官邸に罵声を浴びせる。野間らの怒りのマーケティングは「炎上マーケティング」でもある。反原発活動では、当時の民主党政権閣僚の「遺影」を官邸前に掲げた。不謹慎とネットで炎上したが、その画像はツイッターなどで拡散。後に20万人を動員する官邸前抗議につながった。

ヘイトスピーチ排除という初期目的をほぼ達成した今、反ヘイト団体は権力への働き掛けを強めている。暴力的なイメージが広まったしばき隊は、公的機関やメディアの受けを良くするため、組織名を「C.R.A.C(対レイシスト行動集団)」と改称。男組も傘下に「差別反対東京アクション」などの新団体を設立し、時事隊や議会への働き掛けを続けている。

国会議員としてしばき隊や男組と連携し、ヘイトスピーチ規制の立法化を目指す有田芳生参議院議員(民主党)は、彼らを「ぎりぎりまでやってくれる」と称賛する。「既存の運動や政党は合法主義のあまり、闘わなくなった。きれい事と口先だけの人権派ばかりだ」

法をないがしろにすると受けとめられかねない発言だ。「良識の府」である参議院の議員とは思えない言葉だが、それだけ有田は現在の左派の凋落が我慢ならないのだろうか(有田はかつて20年にわたり共産党員だった)。有田はしばき隊や男組を、30年代にファシスト台頭の阻止を目指したスペイン内戦の人民戦線外国人義勇軍にすらなぞらえる。

「韓国人女性=腐れ売春婦」というプラカードを堂々と街頭で掲げる差別活動は到底、容認されるものではない。しかし差別的な言論を暴力や権力といった「力」で抑え込もうとするだけでは、憎しみが消えるところか、新たな憎悪の連鎖を生むだけだ。

日本は独りよがりの「正義」と腕っ節ばかりが支配する息苦しい国になるのか。もどかしさを引き受けてでも、議論を重ねる国にとどまるのか。ヘイトスピーチをめぐる議論の行方は、日本の今後を占う1つの分水嶺なのかもしれない。

via 「反差別」という差別が暴走する|日本版ニューズウィーク

経済学者のタイラー・コーエンが指摘するように(「アルゴリズムの表情認識はヒトの共感的知性の代替物になりうるのか?」)、今日の仮想化社会は「自閉症的な学習スタイル」を身につけないと適切な現状認識を維持できないほどに過剰な速度と量と多様性で動く情報環境を出現させています。その意味では、トフラー夫妻の「未来の衝撃」は理論的にも有効な概念ですが、1960年代末がテレビとラジオの時代であったのに対し、現在はネットとスマートフォンの時代に移っており、人間のフィジカルな孤立と分散化、デジタルな集合と偏在化によって概念の意味を更新する必要があります。

昨年6月の新宿・新大久保間の嫌韓デモをわたしは実際に観にいっています。(参考:) そのときの印象に強く残ったのも、デモ側と反ヘイト側のいずれの熱狂も上記の理由で内輪的にならざるをえない気持ち悪さと、引用のニューズウィーク誌記者が書いているとおり、デモ側は勿論、沿道からなか指を立てて排外主義者を悪辣に罵倒し尽くす反ヘイト側の野蛮さです。それは、2010年のドレスデンでネオナチのデモ行進を1万人以上の「人間の輪」が阻止した市民の動きとはまったく異質なものでしょう。(参考:) 

1939年、オーストリア出身の社会生態学者ピーター・ドラッカーは処女作『経済人の終わり』でファシズム全体主義を分析しています。彼がそこで剔抉しえた固有の特徴とは、積極的な理念をもたず、その埋め合わせのためにあらゆる物事の否定に終始し、破壊のあとの混沌を好転させる奇跡や魔術をそれとわかりながら信じる深刻な絶望です。東日本大震災以降、日本では、反原発、反排外主義、反秘密保護法、反集団的自衛権と、民衆の否定の熱狂がさまざまにありましたが、彼らは自身の掲げた目標の有効性を考えていたのでしょうか、彼らには何か積極的理念がほんとうにあったのでしょうか? どれひとつとして現実的な変化をもたらしえなかったのは、運動の熱狂じたいが盲目の絶望に端を発していたからではないでしょうか?

安倍政権の独裁化は国際情勢の乱気流に対応するかたちで現実に起こっている問題です。しかし、日本国民の方ではすでに別の問題系として全体主義を支える暗い病に侵されている可能性が強くあります。そして、反ヘイトの野蛮な熱狂をそもそも成立させる要因のひとつに、上記引用で指摘されているとおり、これまでの左翼知識人や運動の無力無能があり、そして、現在進行中のことがらに対しては、リベラル派の学者や知識人に広く重い責任が乗りはじめているでしょう。「未来の衝撃」の症例である専門主義を克服し、世界、そして、日本を観察しない限り、現実問題の腑分けも危機の警鐘も鳴らせないのです。


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Chika Hitujiya

I'm Futurist, producing "Whole Earth Museum" and co-producing art project Run! Miumushi-Kun & Garapadish. This common purpose is really simple. Making you enjoy and preserving the enough requisite knowledge & things for human to survive the crisis of period.
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