スティーブ・ジョブズと創造性の狂気説

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芸術家は、精神的な病を抱えるくらい他の人たちよりも多感なものだと思われてきた。実際、画家モンクの幻視やゴッホの自殺など、天才と狂気が紙一重に同居していることを示唆するエピソードは多い。

一見俗説のようだが、最近の研究によって、そうした見方にも一定の意味があることが分かってきた。創造性のあるところに、狂気が潜んでいるといえるのかもしれない。

スウェーデン・カロリンスカ研究所のシモン・クヤガ氏の研究チームは、約120万人に及ぶ精神科患者とその親族を調査。ダンスや写真など、創造性が要求される分野で活動している人は、双極性障害を発症する可能性が8%ほど高いことが明らかになった。この傾向は特に作家に顕著で、一般よりも121%増大する。

創作活動にたずさわる人の親戚が、統合失調症などの精神的な疾患を抱える可能性が高いこともわかった。この点は重要で、以前から、創造性と精神疾患が同居して「遺伝」するのではないかと指摘されてきたからである。

遺伝子の役割をより直接的に調べた研究もある。ハンガリー・センメルベイス大学の精神科医ケリ・サボルチュ氏は128人の被験者に対して「創造性テスト」を実施し、その後に血液検査を行った。同氏の研究結果によれば、創造性豊かな被験者は精神疾患に関連する遺伝子を保有しているとされる。

このように、創造性と精神疾患に統計的な相関があることが明らかになりつつあるが、背後にある身体的なメカニズムはどのようなものだろうか。器質的には未解明の部分が多いものの、脳科学の側から興味深い研究が出ている。

オーストリア・グラーツ大学の神経科学者アンドレアス・フィンク氏らは、MRI(磁気共鳴断層撮影装置)を使って統合失調症傾向の患者の脳画像を撮影。その後に創造性を試すテストを実施して両者の関連をまとめ、昨年9月に研究成果として発表した。

これによると、重い統合失調症傾向を患っている人と創造性豊かな人の脳内ではともに、思考中であっても、注意と集中にかかわる部位とされる楔前部(けつぜんぶ)が活動を続けていた。一般的に、複雑な課題に取り組むと、楔前部の活動が低下し集中することを助けると考えられている。

創造性豊かな脳も統合失調症傾向の脳も、大量の情報を取り込む一方で、雑音となる情報を排除できない。つまり、脳のフィルターが機能していないといえそうだ。

米国の認知学者スコット・バリー・カウフマン氏は一連の研究成果を受けて、「創造的認知への鍵は、情報の水門を開けて、可能な限り多くの情報を取り入れることにありそうだ」と指摘。「大量の情報が入ってきて収拾がつかなくなり、奇抜な関連づけがなされる。すると、時として、創造的なアイデアに結びつくのでは」と分析した。

via CNN.co.jp : 創造性の「暗黒面」 抑鬱や狂気が天才を生み出す?

意外に思うかもしれませんが、僕自身はこうした人間の創造性に狂気を結びつけた議論は好き嫌いの観点ではあまり好きなものではありません。というのも、所謂「天才」の偶像をあまやかにしたてあげるきらいのあることで、最近ではなんといっても「佐村河内守」でしょうが、人間の創造行為に作り手の物語を纏わせる見方を支持していることや、実際の作り手に謂わばナルシスティックな像やロールモデルをあたえることにひと役買ってしまっている点が素朴には気になります。

是非の観点でいえば、社会学や心理学の議論に広く見受けられることですが、身体的成熟を経た人間のすべてが精神的にも同様の成熟を経ているという平等主義的な前提が、この場合でいえば、創造性の有無と程度の差にたいする本質的な議論が厳密にはなされていないことに違和を覚えます。加えていえば、創造的な技能が要求される職業に就いているひとは、同時に、創造的であると云う身振りや振舞いも社会的にもとめられもするのですから、鍵括弧付きのこうした「創造」に付随する心理的影響が考慮されていないのも議論としてはまずいでしょう。

つまり、創造と精神疾患の問題には、人間の創造的行為にたいする本質的な定義と程度の差の容認、広い意味での「アーティスト」の社会における役割とその心理的影響の分析のふたつが議論の前提として最低限必要です。とはいえ、上記の引用にある「統合失調症傾向の患者」と「創造性豊かな人」の脳画像の比較の結果には素直に興味を惹かれます。というのも、物事の基本的な質の良さとは、単純さではなく複雑さに、素朴さではなく厳密さ、繊細さにあり、実際にそうしたものを作れ思考できるひとはそれだけの情報量を当然の帰結として処理しているわけですが、その意味でいえば、創造的なひとが「大量の情報を取り込む一方で、雑音となる情報を排除できない」ことはすくなくとも経験的には事実に近いようにおもえるからです。

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Appleのインダストリアルデザイングループ担当上級副社長であるジョナサン・アイブは、iPhoneを含む多くのApple製品のデザインを手がけたことで知られる、世界で最も優れたのデザイナーの一人であり、スティーブ・ジョブズ亡き後のAppleを率いていくリーダーとしての役割が期待されている人物です。アイブはAppleが公開しているムービーを除けばあまり人前に登場しないことでも知られていますが、母国イギリスの新聞Sunday Times紙のロングインタビューに応じて、デザインに対する考え方などを話しています。

ジョブズとの思い出について

「スティーブとは、誰も気付かないような製品の細かい部分について一緒に多くの時間を費やしました。その違いは、機能性については関係のないものですが、私たちはそれに気付いていた以上、解決しなければいけなかったのです」

「そうそう、スティーブと一緒に旅行したときのこと。予定通りホテルに着きました。チェックインして、それぞれ部屋に入って。私は荷物を開けることなくドアのそばに置いて、いつも通り、彼からの電話を待ちました。予想通りスティーブから、『ジョニー。このホテルはクソだな。他へ行こう』って電話がありました」

ジョブズはみんなが言うとおり気むずかしかった?

「スティーブについては多く言われているけれど、それを確認したわけではないからなんとも。確かなことは、彼は鋭い意見を持っていたということ。時にそれは鋭すぎるほど。彼は、常に『これで十分なのか?これが正しいのか?』ということを自問自答していました。彼はとても頭が良く、彼のアイデアは壮大でした。たとえ良いアイデアが出てこないときでも、最後には素晴らしい物ができるはずだと信じていたのです」

via ジョブズ亡き後のAppleを担うデザイン統括責任者ジョニー・アイブの考え方 – Gigazine

世のなかの多くのひとは創造的行為を娯楽的、実体的に、すなわち、天賦の才の発露と云うロマンチックな捉えかたをしているようですが、現実には身体的模倣と云う無自覚な同調の習性の否定に、主観的にはものごとの決定の根拠をじぶんの感覚、判断、観察に措くことがそうで、ジョナサン・アイブがここであかしているとおり、人間の創造性の高さはそれらの精密さ、厳密さ、繊細さの度合いにひじょうによくあらわれます。ひとことでいえば、凡庸なひとが10や50しかみないところに、創造性の高いひとは1000も10000も違いをみいだしながら生きているのです。

極端な喩えですが、優れて創造的なひとは顕微鏡と望遠鏡のふたつを常に装着しながら生きていると考えればわかりやすいでしょう。[p2p type=”post_tag” value=”steve-jobs”]スティーブ・ジョブズ[/p2p]が「誰も気付かないような製品の細かい部分」に拘るほど繊細であり、同時にその「アイデアは壮大」ともいわせしめるのはそうした極度に複雑化したリアリティを生きていたからにほかなりません。勿論、こればかりは他人とわかちあえるものではありませんから、少数の仲間と偉大なる先人に対する敬意と共感を除けば(ジョブズの場合はなんといってもPolaroid社を創業した[p2p type=”post_tag” value=”edwin-land”]エドウィン・ハーバード・ランド[/p2p]ですが、しかし、生前のランドはジョブズのことを逆に評価しなかった!)、高度な創造性をもって生きているひとの深い孤独と騒擾の世界を想像することはけっして難しくはないでしょう。

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10月5日、アップルを世界最大のITメーカーに押し上げた稀代の経営者であるスティーブ・ジョブズが逝った。

同氏の功績は、単にアップルという企業の枠に収めることはできない。彼がしたことは、もっとスケールが大きい。IT革命という社会的な変革の恩恵を、専門知識のない人まで及ぶようにしたことだ。

つまり、iPodやiPhone、iPadなどの新製品によって、それらを使う人に途方もない便利さと心地よさを与えたのである。

via ジョブズが世界にもたらした「IT革命」の光と影 わがままで、傲慢で、凄まじい美意識は何を生んだか – DIAMOND Online

結局、スティーブ・ジョブズとはなんだったのかと云う議論は亡くなったいまにいたっても意外なほどになされていません。私見では、ジョブズのもっとも独特な特徴であり格別の興味を惹くのはその社会組織に対するポジションのとり方です。すなわち、若い頃のジョブズを多くのひとが見誤ったように、彼は相棒のウォズニアックのような技術者と云うよりは美しいものを作る芸術家だったのですが、同時に起業家であり、経営者であり、組織内の科学者の位置に留まり続けたランドとはことなり、大きな組織の頂点にたって指揮を執るひとでもありました。といっても、帝王学を幼少に授けられた君子のような人物と云うよりは、マッキントッシュ・プロジェクトをジェフ・ラスキンから途中で奪ったことからもわかるとおり、謂わば海賊の首領のような統治者です。

そのうえ、ジョブズは文字どおりの意味でポストモダン期の革命家でもありました。以前別の記事で少し書いたとおり、(軍事用ロボットは戦争の何を変え、次世代ハイテク兵器は何を変えうるか?」)、1960年代以降のカウンター・カウンチャー運動は、政府機関や大企業に専有されていたコンピューターを非市民的な若者たちのあらたな道具として奪還するという極めて重要な意味があったのですが、1980年代のジョブズはこれを[p2p type=”post_tag” value=”macintosh”]Macintosh[/p2p]で実現し、さらに、2000年代の[p2p type=”post_tag” value=”ipod”]iPod[/p2p], [p2p type=”post_tag” value=”iphone”]iPhone[/p2p], iPadによってこの[p2p type=”post_tag” value=”computer”]コンピュータ[/p2p]史におけるダウンサイズの革命をもう1度遂行したのです。創造的な芸術家として集団の外に立ち、辣腕の起業家、経営者として集団の上に立ち、そして、非市民的な革命家として集団の下に立つと云うこのポジショニングの複層性こそが彼の最大の特徴であり、その像の適切な合意形成を阻んでいるものなのです。

ちなみに、スティーブ・ジョブズが半合成幻覚剤であるLSDを創造性の源として賞賛し、他人とじぶんを隔てるもっとも大きな壁としてこの体験の有無を挙げた逸話には知的な興味を惹かれます。化学的な原理はいまだ解明されていないようですが、素朴に考えるかぎりはこうした薬物も究極的にはあらゆる情報に対する脳のフィルターを一時的に緩めるものなのではないでしょうか。
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Chika Hitujiya

I'm Futurist, producing "Whole Earth Museum" and co-producing art project Run! Miumushi-Kun & Garapadish. This common purpose is really simple. Making you enjoy and preserving the enough requisite knowledge & things for human to survive the crisis of period.

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