震災の避けがたい忘却に遺す幾つかの思考

 

2011年3月11日、東北地方太平洋沖で発生した大津波にからくも巻きこまれ亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

ならびに、福島第一原子力発電所の汚染水等の処理に尽力されている方々、現在も避難生活を各地で強いられている方々、規模の大小を問わず、時間の長短を問わず、被災地の救助活動、支援活動、復興活動に参加された方々、参加されている方々、今度の自然災害と人為災害に僅かなりとも心を痛め、憤慨された、日本の、世界の皆様、そして、現況を耐え忍び、絶望を希望に転じ、未来をみずからの手で作ろうと懸命に生きているすべての方々が好機幸運に恵まれますことを、心よりお祈り申しあげます。

あれから、3年の月日が、1000日ばかりが過ぎました。

Fukushima_Tsunami
東本大震災から3年が経とうとする今、改めて被災地の声を記録にとめよう、という試みが各地でなされています。人々が過去に学ぶためには、記録を残すことは「必要条件」です。しかし記録は学びのための「十分条件」ではありません。

歴史は学ぶためにありますが、人災にしても天災にしても、災害の歴史は自身の体験として学んで初めて意味のあるものです。そしてこの学びは、残念ながら日本の美徳である「あわれむ」ことの対極にあると思います。

世間は往々にして被災地に「可愛そうな中で頑張った」ドラマを要求しますが、この歴史はスクリーン越しの他人の歴史です。かわいそう、という言葉は、明確に当事者と観客を分けてしまうからです。

この夢物語のような感覚が、過去の戦争で多くの犠牲者を出しました。

戦争も、被災も、美談ではありません。悲しみや忙しさ、あるいは仕事を失った退屈さに、八つ当たりもすれば逃避もする、人間の生きる土地で起きた出来事です。

各国の有事における問題解決のプロセスには、国民性が非常に表れると思います。中国の大陸思想、英国の帝国主義、ドイツの民族主義・・・もちろん十把一絡げにはできませんが、他の国を見る限り国のメンタリティというものはそれほど簡単には変わりません。

東日本大震災の後に日本の取っている復興対策には、第2次世界大戦で犯したと言われる過ちと同じ場面が多々見られます。

●1回の成功をもって「改善の必要なし」と判断すること。
●インフラの整備を人の整備よりはるかに優先させること。
●システムエラーを個人の無償の努力でカバーさせるために「英雄」を生み出したこと。
●その英雄的行動を一般人に強要しようとする風潮があること。

この現状を見て、日本人は過去の歴史を反省した、と本当に言えるのでしょうか。

via 知らず知らず第2次大戦と同じ過ちを犯しつつある日本 被災地に赴任した内科医が見た、それでも歴史は繰り返す現実:JBpress(日本ビジネスプレス).

阪神淡路大震災の折の発言で知られる精神科医の中井久夫さんは、「時間精神医学の試み」と題したエッセイのなかで、精神病理におけるさまざまな時間変化には個別の患者を越えたある程度の規則性があり、人間の生理学的な変化とわたしたちの生活時間に関連性があるのは勿論、文化的な時間の切れめやことわざにおけるそれは自身の臨床経験に照らしあわせても何がしかの根拠のあることを指摘しています。今度の震災の三回忌、すなわち、去年のちょうどいまを過ぎた頃から震災や原発の話がひとのくちにのぼらなくなったと感じていたのはわたしだけではないでしょう。

勿論、今週いっぱいは被災と原発をめぐる現状と問題を想い起こして忘れないようにしようとわたしも含め多くのひとが奮闘します。それは、敢えていうまでもなく尊い営みに違いありません。しかし、同時にわたしたち人間は避けがたく忘れていくものでもあります。天台宗の比叡山延暦寺に千日回峰行という苛酷を極めた荒行があるように、千と云う数字はわたしたちにはとても神秘的で、また、石の上に三年と云うことわざがあるように、3年間の継続ですらわたしたちには努力を要することです。まずはこの厳然たる事実を認めるところからはじめなくてはなりません。

結局、感情や善悪による問題の捉えだけでは何事も前に進めることができないのです。反原発、脱原発に反対するひとはもうほとんどいなくなってしまいましたが、しかし、日本の発電体制の現状に否を突きつける以上の視野をそれらはもちえたのでしょうか。何が問題で、何がそうでないかの適切な分析と腑分けをし、自身がいったいどのようなヴィジョンを未来に持ちえているかを公に示しえたひとはどれほどいたのでしょうか。3年前の震災を少しずつ、しかし、着実に忘れていっているいま、震災から何を未来に遺しえるかを真剣に議論すべき瀬戸際にわたしたちはたっています。

Fukushima
現在の日本はエネルギー戦略に関しては深刻な分裂にあり、ともすれば分裂が常態化しつつあるように思われます。

例えば東京に関しては株高の影響が消費にプラスの影響を与える中で、景況感は良くなっているわけですが、そのためもあって節電ということは忘れられているようにも思うのです。では、原発稼働ゼロという現状下で、化石燃料だけでエネルギーの供給が確保できているのかというと、問題は深刻です。

とりあえず、火力発電所をフル稼働させているわけですが、そのために化石燃料の輸入が増大しています。更に、この間に円安が進行したこともあって、ここ数カ月の貿易収支はマイナス1・5兆円から2兆円という水準になっており、過去最悪の状況です。

電力会社の経営もそうした燃料高を反映して、東京電力だけでなく、泊原発が停止中の北海道電力なども、危機的な状況にあるわけです。

そう考えると、原発を再稼働するという話になるわけですが、これが国レベルでも各地方のレベルでも合意できないわけです。賛成と反対の双方の立場があって、お互いに一歩も引かない格好になっています。

ここは、脱原発への年限を「0年(即時)、5年、10年、15年、20年、25年」ぐらいに分けて、その場合のGDPの推移と、貿易赤字、為替レート、国家債務、破綻リスクなどのシミュレーションを行う、それも政府だけでなく、民間のシンクタンクや、コンサルティング・ファームなどのコンペにするのです。コンペと言っても、優劣を問うのではなく、「各シミュレーション」を並べて、お互いにパラメータの批判をし合って、議論を深めることを提案したいと思います。

via 「3・11」3周年、分裂が固定化しつつあるエネルギー問題 – NewsweekJapan

東日本大震災が今日意味するものを振りかえってみると、絡みあっている複雑な問題をいくつかに分けて捉えなおす必要を感じます。まずひとつは[p2p type=”post_tag” value=”communication”]コミュニケーション[/p2p]の問題で、ノンフィクション作家の[p2p type=”post_tag” value=”rebecca-solnit”]レベッカ・ソルニット[/p2p]が『災害ユートピア』で描きだしたその場限りの相互扶助共同体を編みだすものでありながら、同時に、内と外を分けることによって不可避的に生じる政治性や差別構造のみなもとであり、正確にいえばほとんどの動物に、とりわけ、哺乳類、そして、[p2p type=”post_tag” value=”anthropoid”]類人猿[/p2p]に著しくみられる身体的な共感作用のちからがそうです。近代的な意識や理性の強さを未だに信じているひとは別ですが、わたしたちの社会や個人の問題の(そして、幸福の)ほとんどはこの文明化以前の根強い能力に端を発しています。知的にはこの問題を哺乳類や類人猿の世界に遡ってもとめ、実践的にはこの能力をモラルの次元と更に合理性の次元にまでひきあげることが重要です。( 「あなたの出逢いを定めている類人猿のコミュニケーション類型

もっとも、前世紀以来の情報化社会、そして、次世代のポストデジタル社会の過渡期にあるわたしたちにとってコミュニケーションの問題は、情報空間、普通にいえばインターネットを介したコミュニケーションの問題に倍化します。すなわち、是非や好悪はともあれ、地震発生直後から[p2p type=”post_tag” value=”twitter”]Twitter[/p2p]を主とする[p2p type=”post_tag” value=”social-media”]ソーシャルメディア[/p2p]の存在感が大きかったことは疑いえないのですが、しかしこのことが同時に情報空間におけるコミュニケーションの本質を半分覆い隠してしまいました。ひとことで云えばそれは、母国語や外国語ではなく、使用可能言語でたがいに補助付きの意志疎通がとれるようになったこと、すなわち、地理的な制約をコミュニケーションからほとんど取り除くことができ、潜在的な共同体の範囲をこれまでとはまったく違う[p2p type=”post_tag” value=”reality”]リアリティ[/p2p]で展開できるようになったことです。

元CIA局員[p2p type=”post_tag” value=”edward-snowden”]エドワード・スノーデン[/p2p]の暴露以降、情報化社会、ポスト情報化社会に対する反動や嫌悪が世界的に拡がっていますが、しかし、コミュニティの概念を使用可能言語で捉えなおすことは問題の解決や議論においてきわめて重要です。知的には、日本を出発点にものごとを考える習慣を世界の側から日本やその他の出来事を考える裏返しと再構築が必要であり、実際にわたしたちが抱えこんでいる問題の多くはそうしないと解決の光がみえない巨大なものばかりです。実践的には、例えばわたしはここ最近ドイツの脱原発政策は破綻していると云うことを書いていますが(「ドイツの脱原発モデル、全量固定価格買取制度の破綻と反原発という「空気」」)、それは、ケルンに30年以上住んでいる方とのおたがいかたことの英語の議論で教えられたことです。いずれにせよ、知性の射程を時間的、空間的に延ばしてゆき、かつ、そのなかで各論的にわたしたちの問題を考え動いていくことが現在、そして、今後はますます重要になってきます。

ふたつめは、前1、2世紀にひとがたびたび自然の猛威に見舞われながらも無視してきた地球環境が、政治、宗教、経済、すなわち、文明社会の外部として厳然と存在し、かつ、今後は以前よりもずっと変動の多い地球環境のなかで生きざるをえなくなると云うことです。もちろんそれは、滅びゆく動植物や自然を守ると云う意味やわたしたちの国や都市が抱えている核エネルギーがとりかえしのつかない破壊力をもったと云う意味での前世紀末的な問題を否定はしませんが、根本的には違います。と云うのも、これまでは文明の保護の問題であったり文明自体の抑制の問題だったのですが、自然災害や、近頃頻発している異常気象、生態系の変貌は、文明の成立基盤そのものを揺るがせにし、1万年来の大規模な環境適応を人類に要請する可能性があるからです。この問題は、ランダムネスの高まっている自然環境における文明社会、すなわち、都市や家をどのように再構成し守っていくのかと云う問題と、人類の手や足がなかなか及んでいない環境、具体的には宇宙空間やほかの惑星ですが、こうした前例のない苛酷な環境でどのように文明を築いていくかと云う問題のふたつにわけられます。ほとんどのひとには空想染みているようにおもえるでしょうが、現実にこれは起こり、かつ、起きうることであり、実際にこうしたヴィジョンをもって動いているひとや組織が世界には存在します。

最後のひとつは、もちろん、[p2p type=”post_tag” value=”nuclear-power”]近代原子力エネルギー[/p2p]です。以前書いたとおり(「幻の現代原子炉、トリウム溶融塩炉はどの国で蘇るのか?」)、わたしたちはまず、原子力問題から組織論的問題をわけ(しかし、あのような大惨事を引き起こした組織が何故処理にあたっているのでしょうか、純日本人組織だけでやらなけばならない理由は特に思い浮かばないのですが……)、かつ、軽水炉固有の問題もきちんと分け、どの途を選ぶにせよ、将来の日本のエネルギー問題を国内問題としてではなく、世界の問題として各論的にあらためて捉えなおす必要があります。勿論、この議論を日本語だけで、日本人だけでおこなう理由は何もありません。震災後3年が経ったいま、わたしたちは震災以前の発電体制にイエスかノーかというはじめの1歩でずっと足踏みを繰りかえしたままなのです。

 

1968年以降、あるいは、1990年代以降の情報化社会からは不可避的に時代がもとめる知性の加速度的な増大にわたしたちは苦しみ続けています。それにくわえ、2020年前後からはポスト情報化社会の本格的な突入がはじまるでしょう。社会にもとめられる知性や教養、技術の数々はどんどん変わり、今以上にイノベーションの回転速度もあがっていきます。今日、最も必要なのは未来のありうるビジョンの構築とその共有であり、それによって問題の是非や好悪の議論を建設的に起こしていくことです。来たるべき終焉に備え、遺すべきものは遺し、非力ながらその実践にわたしは全力を費やしていきます。

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Chika Hitujiya

I'm Futurist, producing "Whole Earth Museum" and co-producing art project Run! Miumushi-Kun & Garapadish. This common purpose is really simple. Making you enjoy and preserving the enough requisite knowledge & things for human to survive the crisis of period.

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